アジア国別情勢
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アフガニスタン(Afghanistan)
女性の人権 タリバン政権崩壊後、女性の扱いに関して、多少改善がみられるものの(ブルカの着用義務はなくなり、女性が旅行する際、親戚の男性の同伴義務もなくなった。女児の就学率も向上している。)、世界の基準には程遠い。
女性は家庭内においても公共の場においても、常に暴力の的である。特に公的地位にいる女性(議員、市民活動家、ジャーナリストなど)は脅威や虐待を受けやすく、彼女たちの活動を困難にしている。
<更新:2008年2月>
参照1) ウィキペディア (アフガニスタン)
参照2) Wikipedia (Afghanistan)
参照3) ReliefWeb ≫ Countries & Emergencies ≫ Afghanistan
参照4) CIA -the World Factbook (Afghanistan)
カンボジア(Cambodia)
人身売買 カンボジアは人身売買の源であり、中継地であり、また受入国でもある。相当な数の女性と子供たちが性的搾取や強制労働でタイとマレーシアに売り渡されており、また子供はベトナムやタイに売られ、物乞いの道具にされている。男性は主にタイに売られ、工場、農業、漁業での強制労働を強いられる。
またベトナムから性的搾取のために女性を売買、あるいは仲介している。女性売買は国内の中でも起きている。
女性の教育 東南アジアではラオスとともに、唯一識字率の低さが目立っている。男性識字率85%に比べ、女性は64%で、特に農村地区の女性の識字教育が遅れているようである。
地雷 カンボジアは世界でも最も地雷が埋められた国の一つであり、1970年以来、6万人の死者と数千人の負傷者を出している。被害者の多くは地雷源で遊ぶ子供である。または鉄くずとして売るため、不発弾に近づいて事故に会うケースも多いという。NGOによる地雷撤去活動が功を奏して、2006年に入り、被害者の数は前年の800件から400件に半減した。
<更新:2008年4月>
参照1) ウィキペディア (カンボジア)
参照2) Wikipedia (Cambodia)
参照3) UNICEF - Info by Country (Cambodiar)
参照4) CIA -the World Factbook (Cambodia)
東ティモール(East Timor)
難民 2006年5月、ディリでの内乱から1年半経過した今も、10万人が避難生活を送っている。
アジア最貧国 紛争でインフラの70%は破壊され、その後国際支援によって再建が進んでいるものの、未だアジア最貧国となっている。成人の半数は読み書きができず、5人に1人が1ドル以下で生活している。失業率は依然高く、社会不安が高まっている。
女性の人権 紛争時、やはりこの国でも女性が性の犠牲となっていた。今も女性への暴力が蔓延している。
<更新:2008年4月>
参照1) ウィキペディア (東ティモール)
参照2) Wikipedia (East Timor)
参照3) UNICEF - Info by Country (East Timor)
参照4) CIA -the World Factbook (East Timor)
バングラディシュ(Bangladesh)
ネパール(Nepal)
女性差別 ネパールは唯一女性の寿命が男性より短い国である。女性差別が激しく、男性は皆靴を履いているが、女性は裸足が多く、識字率も男性の63%に対し、女性は35%である。これはブータンとともにアジアでも最も低い。カースト制の差別も存在し、カースト制以下の身分とされるダリットにいたっては、女性の識字率はわずか5%である。貧困ゆえの児童労働も多い。
またインドの国境近くでは児童売買が行われており、少女たちが売春宿に売られている。
児童兵 ネパール毛沢東主義派は多くの子供たちを徴兵してきた。2006年和平協定調印後も、その多くが解放されないままである。その他の主要政党も、政治活動に子供たちを活用する傾向にある。
難民 毛派の政府に対する内紛で、10〜20万人が難民化した。隣国からもブータン難民10万人、チベット難民2万人が避難生活を送っている。(2006)
<更新:2008年4月>
ブータン(Bhutan)
女性の地位 アジアの中では、他の南アジア諸国同様、女性の識字率が極めて低い。識字率は男性60%に比べて女性はわずか34%である。
ネパール系ブータン難民 1990年、ブータン政府によるネパール系住民の国籍剥奪や民主化要求をめぐる対立から、拷問などの人権侵害があったとされ、10万人のネパール系ブータン人がネパール南東部に逃亡し、避難生活を送ってきた。難民たちはブータンへの帰還を望んでいたが、長年の交渉決裂に不満を募らせ、2007年末から欧米諸国への移住を開始した。
<更新:2008年4月>